ブログを書こうと思ったとき、
最初に思い浮かんだのがワインのことだった。
なぜかというと、
ワインを学んだことが、思っていた以上に「世界の見方」を変えたから。
なぜワインを学ぼうと思ったのか
きっかけはシンプルで、
飲み友だちがワインエキスパートの資格を取って楽しそうだったから。
「暗記することが多くて大変だった!」
と言いながらもそれを乗り越えた人たちだけが知る世界がそこにあるようだった。
もともと私は日本酒が好き、
というか「お酒を飲む空間」が好きな人間だ。
人と人の境界が少しゆるんで、
初めて会った人とも自然に打ち解けられる。
その場かぎりになることもあるけれど、
それってなかなか得がたい体験だ。
日本酒は、飲んでいるうちに少しずつ知識が増えていった。でもワインは、ずっと「よくわからないもの」だった。
産地は世界中。
ラベルはローマ字、英語ですらないこともある。
日本酒と比べて知識の範囲も広すぎて、どこから知っていけばいいのかも分からない。
でも、せっかくお酒の場が好きなのに、
主役級のワインを知らないまま人生が終わるのもなんだかつまらない。
そんなとき、仲の良い友人がワインエキスパートに挑戦すると聞いて、
「やるなら今しかない!」と奮起した。
学び始めて気づいたこと
いざ学び始めてみると、思ったより大変だった。
まず驚いたのは、
暗記量の多さ。
勉強していた時期は、毎晩トリビアを学んでいるような気持ちだった。
完ぺきに暗記できたらクイズ王になれるかもしれない。
同じぶどう品種でも、国が変われば呼び名が変わる。ラベルの書き方や格付けの基準も違う。
覚えることはかぎりなくあれども
ワインがどういう経路で広がっていったのか、その歴史を辿ったり、
ヨーロッパ諸国の食文化を知るのは楽しかった。
珍しい国のワイン飲むときは、その国や地域の料理をつくって合わせて飲む、という楽しみも増えた。
日本のワインについても、各地に優れた造り手がいることを知った。
実際に飲んでみると、驚くほど美味しいものもある。
一方で、「資格を取ればワインを分かるようになる」という期待はあっさり裏切られた。
英語でいうなら中学の英文法を覚えた、くらいではないだろうか。
ワインを学ぶと何が変わるのか
それでも変化を実感する日が突然訪れた。
資格取得後、ワインショップのショーケースを眺めていたときのこと。
それまでただの“呪文”のように見えていたラベルの文字が、
急に意味のあるものとして読めるようになっていることに気づいた。
ボルドーの格付けワインの名前。
試験勉強中にイラストマップまで作って覚えたものが、すべて分かる。
それは、近眼の人が初めてコンタクトレンズをつけたときのような感覚に近いかも。
世界の輪郭が、急にくっきりと見える。
解像度が上がる、というのはこういうことかと思った。
それまでは、ただ並んでいるだけのワインだったのが、少しだけ“読めるもの”になった。
ああ、自分はワイン語を少し理解できるようになったんだ、と思った。
もうひとつの大きな変化は、
物事を単純に判断しなくなったことかもしれない。
選ぶ基準が、値段やラベルだけではなくなった。
いや、もちろん今でもラベル買いはするけれど、
そこに少しだけ「背景」を感じられるようになった。
例えば、このスパークリングはシャンパーニュと同じ製法で作られているとか、
このワインは自然派の造り手によるものだとか。
そういう情報が少しあるだけで、
ワインの見え方が変わる。
他には、
頭の中に、ぼんやりとした「ワインの地図」ができた感じがする。
それはそのまま、世界への興味にもつながっていく。
「あの土地に行ってみたい」
「この産地を実際に見てみたい」
そんなふうに、視点が広がった。
ワイン言語が分かるのは楽しい
ただ、これが人生にとって大きな意味があるかと言われると、
正直、そんなことはない。
ワインに詳しくならなくても、
お店でおすすめされたものを飲めば十分楽しめる。
それでも、少しだけ自分の中に「知っていること」が増えるのは楽しいことだ。
誰も気にしないかもしれない小さな知識だけど、
自分にとってはちょっとした発見になる。
それから、間違いないのが
ワインが分かる人との会話が格段に楽しくなる、ということ。
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ワインの勉強は、
誰にでもおすすめできるものではない。
時間もかかるし、
そこに価値を感じるかは人それぞれだから。
ただ、ひとつ言えるのは、ワインを知ることは楽しいし、世界の見え方を少しだけ変えてくれる、ということだ。
そんな小さな充実感や達成感を拾い集めていく。これぞ寄り道の極意。
下記は、一次試験を合格できるまでの道のりを試験後に書いたもの。
→ ワインエキスパート合格までにやったこと(詳細はこちら)

