「自由な生き方がしたい」という言葉に恥ずかしさを感じた

「自由」って、人として生きるうえで、とても大事な価値だと思います。
でも、「自由な生き方がしたい」「自由にやらせてほしい」と紙に書いたり人に言ったりしたときに、ふと、

あれ?ちょっと子どもっぽいかな?

と考えてしまいました。少し恥ずかしい気持ちがしたんです。もっと言うと「自由」ってどういうことか、ちゃんと説明できなかったことに気づいたんです。

「自由な生き方」どういう状態なんだろう。そもそも「自由」ってどういう意味なんだろう。

自由という言葉の意味について考えてみました。

目次

自分の考える「自由」

ぱっと思いついたのは、「自由」は、自立した状態であること。会社や組織に頼らずお金を稼いで自分の生活を維持できること。

そう言ってはみたけど、でもそれって「自由」じゃなくて「自立」でいいよね。
あと、組織に頼らないとしても、お金を稼ぐ過程において、人の意思決定に委ねなければいけなかったり、自分の考えとは違うことでも受け入れなければならなかったり。その状態は必ずしも「自由」とは言えないのではないのかな、という考えに至りました。

自由の一般的な定義

デジタル大辞泉 によると「自由」とは

  1. 自分の意のままに振る舞うことができること。また、そのさま。「自由な時間をもつ」「車を自由にあやつる」「自由の身」
  2. 勝手気ままなこと。わがまま。
  3. 《freedom》哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。つまり、「…からの自由」と「…への自由」をさす。
  4. 法律の範囲内で許容される随意の行為。

「2. 勝手気ままなこと。わがまま。」が含まれているのを見て、なるほど、子どもっぽく感じられた正体を見たぞ、と気づきました。

「自由」ってネガティブな意味にも捉えられるんですよね。「勝手気まま、自分勝手」であることは、特に日本の社会では、あまり良いことではないと思われています。自分の自由を尊重することで、和を乱す、協調性にかける、そんなふうに言われてしまうのです。

一方で、「《freedom》哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないこと」に関していうと、これは、とても大事な価値をもつことです。

人権を侵害されるような状況において、たとえば奴隷制度のもと安い賃金で働かされている人などは、そういった状況から自由を得たいと思うのは当然です。

つまり、各々の環境や状況によって、「自由に生きたい」の意味は大きく変わるわけです。

仏教における「自由」の意味

もうひとつ、ググっていて見つけた記事で、おもしろいものがありました。

仏教における「自由」の意味は?

宮城県にあるお寺の住職さんの日記です。

この記事では、「自由」の言葉の意味が、明治以降どのように使われるようになってきたかと、もともと持っていた仏教由来の意味についてを解説されています。


記事によると、「自由」とは、明治時代にはいってきた西洋の言葉を日本にもともとある漢字をあてはめて翻訳し、その際、当時の啓蒙思想家であった福沢諭吉が、「Liberty」や「Freedom」というキリスト教の信仰から生まれたことばを「自由」と翻訳したといいます。

「Freedom」何事にも規制されていない状態や免除
「Liberty」  抑圧や束縛からの解放や勝ち取った自由

自由を表す英単語「Freedom」と「Liberty」はどちらも少しニュアンスが違うのですが、どちらも「自由」という言葉に置き換えられました。そのように翻訳されてから「自由」は、外的要因から束縛されない、という意味で使用されることが多くなったそうです。

しかし、もともと「自由」とは「自らに由る」とあるように、自らの意志をよりどころにすることを意味した言葉であり、執着から解き放たれた状態である「解脱」を表すこともあります。

つまり、仏教由来の「自由」とは外的な要因ではなく、自分の心のあり方を表すことばでした。
(記事抜粋)

「自由」という漢字は、仏教で使われている言葉に由来していて、「自らに由るもの」であり内面から湧き出るもの、なのだということです。

改めて、自分が考える「自由」の価値

自分がなぜ「自由」に価値を感じるか、それは、自分が常識に囚われがちで、思考停止になりがちだったり、人の意見に流されがちだったり、心の自由を感じられていない、そんな理由からきているのかもしれないなと思いあたりました。

そんなことから、自分の考える価値ある「自由」をまとめると

  • 内側の自分の気持ちに沿った決断をして、自分から湧き出るものを大事にすること。
  • 人から否定されても、その気持を守って育ててあげること。
  • 声をあげることを忘れずに、自分の意思を大事にすること。


そんなことが、できている状態なのだと思いました。

家も家族も友人も持たない、わずらわしい人間関係や仕事から逃れ、山に籠もって自給自足、仙人か世捨て人になることもある意味自由だし、世界中を飛び回ってYouTuberとして配信しながら生きるのも自由だし、郊外の素敵な家で好きな人やイヌと暮らしながら、好きな仕事をして毎日充足して暮らすことも自由だし。学びたいと思ったことを学び、やってみたいことに挑戦し続けることも自由です。

みんな自分の気持ちに沿った決断から決めたことをできるようであれば、それは「自由」なんだろうな。
そして「自由」を最も阻むものは、「お金」と「人の目」なのかもしれませんね。

自分で自分の心を奴隷のように縛ってしまわないように、やりたいこと好きなことを実現できるように、想像力を働かせて「自由」を楽しみたいですね。

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